無駄な会話になりやすい人の特徴

世の中には話の通じない困った人が少なからずいらっしゃいます。この人はどこに向かって話をしているのか分からず結局話し合いをしたのが無駄だったという後悔をしたことがあるのではないでしょうか?そんな、困ったちゃんの特徴を挙げていこうと思います。

 

話の本筋を理解することが出来ない

誰しも友達と飲みながら会話しているときや、雑談しているときは感情で話をしています。それはそれで、話の行き先が決まっていない事で楽しい会話というものが成立していますが、これが仕事上や込み入った話をするときにも全くわきまえない人というのが存在します。


話の内容の全体像を把握せずに断片的に切り取って解釈しますので、話がよくわからない方向に進んでしまうのがこのタイプの特徴です。

 

そもそも相手の話をまともに聞いていない

 

通常、話し合いをする場合、話の内容や雰囲気や言葉使い、表情や場所などでどういった事を話したいのか理解しようとしますが、困った人は相手が何を言おうとしているのか理解しようとしませんし、都合の良いように解釈します。

 

話の本質がズレて戻らなくなる人

 

話し合いをする場合、本題から大きく反れることなく進めていくものですが、Aという本題があるとしてそこからBやC、またはCといった枝分かれした話の展開になったりする事があるとおもいます。

 

しかし、話し合いにならない人というのはBやCの枝葉の話にずっとこだわり、そこに感情が入り込んでキレだしたりして、永久にAという本質に戻ってくる事がない。これは話をする上で非常に困りますね。

 

このような人は大局で物事を見ることが出来ませんので、話をしているうちに物事の本質を見失います。話をするだけ無駄だったという人の特徴です。このような人は枝葉の部分で非常にエキサイトしたり感情的になりがちです。

 

本質を見失う原因は感情で話をしているから

時と場合により理論的に話をしないと進まない内容があります。そのような場合でも話にならない人はどこかの部分が引っ掛かり感情で話をしてしまいます。

 

友達との雑談であれば会話の本質がほぼないので構いませんが、仕事上や込み入った話の場では一向に話が進まないので話を持ち掛けた人が後悔する結果になります。

 

賢い人が絶対行わない事

 

 

それは、感情で話をしない事です。本質を理解してAという本題から逸れることなく結論に達する事が出来る。

 

仮にBとかCのような枝葉の話題に移ったとしても最終的にAに必ず戻り、BやCのように話題が逸れた事によって、さらに精査された結論に結びつける事が出来る。これが話が出来る人と出来ない人の差です。

 

 

話し合いが出来ない人は感情のコントロールが不得手

 

話し合いをする上で感情的になることで進まないというケースが多々あります。最悪なのは、お互い感情的になり、物別れになる事がよくあります。

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公的または、職場でなくても、何か問題が発生した時や結論を出さなければならないときは少なくないですから、その度に感情的になっていては問題を大きくしてしまいます。

 

感情で話をするとあらゆる問題は解決できない

話し合いで解決するというのは一見簡単そうに思いますが、簡単ではありません。お互いに理論的に進めれば問題ないですが、ある程度踏み込んだところまで話し合わないと解決しない場合、途中から感情的になる人もいます。

 

もうひとつは普段は理論的に話を進める事が出来ますが、相手が感情的になった場合、応戦する形で話し合いにならない場合もあります。

 

感情的になればなるほど枝葉の部分で止まってしまい、自分の正当性を主張するばかりで、思考は相手に歩みよりや理解することがなくなりますので、本質に立ち返る事が難しくなります。

 

感情で話すと論点がズレていることに気づかない

感情的に話をしていると本質より自分の感情を訴えたり、通す事に執着しますので良い結論に結びつける事は出来なくなります。

 

感情的な話し合いで「お~」「それは画期的だな」と思うような結果に結びつくことはほぼないです。

 

日本人は対外的に感情的になることは少ない

 

日本人は諸外国に比べると感情的に訴えるということが少ないかもしれません。よく言えば「大人の対応」悪く言えば「カッコ付け」である。

 

日本人はどこかの国のように号泣しながら感情で訴えることは少ないです。そのような事をしている人を見れば「大人げない」と多くの方が思うでしょう。

 

日本人はそのような場面で感情で訴える事を「カッコ悪い」と思っているところがあります。

 

もちろん、日本人に感情がないわけではありません。むしろ感情でものを判断しがちな性質だと思います。

 

豊かな感情を持ちながらも、やせ我慢と言いますか、そういったことを「美徳」とされる国民性かもしれません。

 

感情に訴えたほうが良い場合もある

 

 

これは状況によりますが、感情的に訴えたほうがより伝わりやすいといった事があります。例えば選挙の演説などでは、無表情で政策を淡々と述べるより、表情豊かに、時には涙を見せながら

 

「国を良くするために、みなさんの一票がどうしても必要なんです」と身振り手振りで訴えたら、どちらに心が動きますか?ということになります。
感情に訴える事で人間味を感じる事があるからです。

 

でも、保身の為に感情に訴えるのは逆効果です。自分の不正を正当化するのに感情に訴えて号泣するという。。どっかの議員さんでいましたが、あれはダメです。駄々っ子と同じ。

 

あくまでも「国民の為に」「地元の為に」という、人の生活を良くするためにとか、そういったことを一生懸命やっている人の感情は心を動かされます。

 

まとめ

話をしても無駄な人は感情で話をするという事ですが、そうならない為には、話をする人の本質を理解することが何よりも大切だと思いました。友人と砕けた話をしているときは感情で話をして、オフィシャルでは感情で話をしないように心掛けたいですね。