- 投稿 2019/03/23 更新
- 都市伝説
平将門の首塚はご存じでしょうか?
将門の首塚は大手町のビル街の間にあり、
平将門の怨念とはどのようなものなのか?
かつての大蔵省が関東大震災で全焼。新庁舎を建てる前に、
その後役人の中から病気や怪我をする人が続出、
将門を足下にした祟りだと一気に噂が広まります。
わずか2年の間に現役大蔵大臣である早速整爾を筆頭に現職課長や建設に携わ
大蔵省職員の動揺を抑えるために南無阿弥陀仏鎮魂碑を首塚の前に
昭和15年6月に落雷で大蔵省の主要建物が全焼しました。
戦後、焼け野原だった首塚周辺をマッカーサー率いる米軍(GHQ)
数々の怨霊伝説のある平将門の首塚ですが、
現在も大手町に首塚はありますが、
めちゃくちゃ気を使っていますよね、将門首塚に失礼があってはならないと・・というよりも数多くの伝説を持つ将門の怨霊を恐れてそのようにしているということだと思います。実際に生きていたのは1000年以上前の平安時代ですからね。
怨霊の根深さ、執念がどれほどのものだったのか・・・
怨霊の都市伝説だけが独り歩きしている感がありますので、平将門の生い立ちや
どのような人物だったのか、どんな亡くなり方をしたのか、そのあたりを掘り下げていけば恐ろしい怨霊の理由が少しは分かるかもしれませんね。
平将門とはどのような人物だったのか?
当時の朝廷に反乱を起こして自らが親皇として名乗ったのが平将門
平将門はどのようにして亡くなったのか?
承平天慶(しょうへいてんぎょう)の乱によって討伐されるのですが
ーーーここから順に
叔父たちから目の敵にされ親戚間の小競り合いが絶えなかった
将門が生きていたのは平安時代の中期平安京を作った桓武天皇の5
高望は関東の有力者の娘を息子たちの嫁に迎えることで勢力を拡大
その1人である将門の父良将は早々に亡くなってしまい残された領
将門は国香と源護を返り討ち、
ここから親戚間の小競り合いに発展していきます。
朝廷を敵に回した将門、対抗するために関東を制圧する
将門は戦に強く知力に優れていたため親戚間の小競り合いにおいて
しかし、国の最高権力である朝廷に「お尋ね者」
藤原維幾に反発して税金を払わなかった為に朝廷から追われる身と
将門は玄明の罪を朝廷に報告した維幾と因縁があり、玄明を受け入れた。
維幾は将門が親戚間で小競り合いしたときに叔父たちに加担したこ
さらに、
結果、将門は維幾に勝利し、
そのことで朝廷を敵に回してしまった将門は国から狙われる身とな
それに対抗するためには大きな勢力が必要になります
そこから関東一円の受領を追い出して制圧、さらに勢力を手に入れ
天皇の対となる新皇を名乗る
自らの身を守る為の行動とはいえ徴兵や徴税に苦しむ民衆からは英
しかし、
将門の討伐に本格的に乗り出した朝廷は有力な武士を関東へ次々に
その中のから名乗りをあげたのは藤原秀郷で奥州藤原氏の祖先にあたる人物です。
秀郷は将門のいとこであり、
当時の朝廷に歯向かった罪の重さは相当なものだったと言われています。
将門の怨霊の都市伝説はここから始まります
本来首塚は首を供養するためのものであったが、