腰が低い人ほど腹黒いと言われる理由

世の中に一見いかにも腰が低く、良い人風の人がいます。

 

この風というのが、このタイプの特徴です。〜風とか〜系とかいう表現がよく使われますが、このようなタイプは外面はそのように振る舞っているが、実際の性格はまったく違う面があります。

 

このタイプの人は周りから人当たりの良い、良い人というイメージを与えますが、急に怒りを爆発させたり、瞬間的にイメージとはかけ離れた行動や言動を取る場合があります

 

その時になって周囲はあまりのギャップに驚かされますが、本人も瞬間的な事なのでつい出てしまうものです。

なぜ、周囲が驚くのかと言えば、わりかし小さい事柄であっても、普段自分を抑えてる分、思っていることと違う展開になった時や思い通りの反応を得られなかった時に爆発する傾向にあります。

 

 

 

普通の人が怒る場合よりも落差が激しく、かなり理不尽に怒ります。普段のイメージがあるからこそ余計に尋常ではない印象を与えます

 

普段の優しく温厚なイメージは吹っ飛んでしまうほどの衝撃を受けます。

 

腰が低くて穏やかな人が突然爆発する理由

 

 

人によっては危ない人のような印象を受けることもありますので、一瞬にしてイメージが変わってしまうこともあります。

 

このような極端な二面性を持った経緯は色々ありますが、人生の過程において、そのようにせざろ得ない経緯があったりします。

 

親子の関係性において、親がワンマンであったり高圧的であった場合、子供心に親に好かれるにはこうした方が良いといった考えが出来上がった可能性があります。

 

しかし、子供の頃に形成された性格や外部の対応方法は大人になってからも強く影響を与える事があります。

 

 

あともう一つ考えられるのが、あらゆる欲が強い事が原因の場合もあります。

 

例えば出世欲や金銭欲が強かった場合、いかに最短で自分の欲が達成出来るかに意識が向きますので、表面上は穏やかに、そして腰が低い好人物を装う事が目的達成には必要だと考えている場合があります。

 

いずれにしろ、このようにしていることは目的達成の為に装っているので、それを邪魔されたり、否定された時は耐えきれず爆発してしまうのです。

 

これが一見腰が低く、穏やかに他人に接する人物が「腹黒い」と言われる理由です。

 

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内面は普通の人以上に欲が深かったり、すべてに計算づくなのも本来の性格ではなくビジネス低姿勢やビジネススマイルだからである。

 

ある意味、自分の目標の為に周囲の対応や腰の低さまで変化させるほど徹底しているのだから大したものです。

 

普通はそこまで徹底できませんし、出来たとしても一時的です。自分に正直に生きたほうが楽だし、ストレスもありませんので。

 

こうした事を考えると、仕事や目的のためにしているだけとも言えます。その分、他の人が考えるよりもり数倍ストレス掛かっていると考えられます

 

まぁ、本人が勝手にやってる事なので知る由もないですが。。

 

このようなタイプの対応方法とすれば、「中身の見えないタヌキ」を相手にするわけですから、ともするといくら話しても、いつまで経っても相手の本心が見えませんので掴みどころがありません。

 

ですので、ビジネス低姿勢であると同時に腹の中を見せないように生きているという事を理解する必要があります。

 

つまり、深入りしてもあまりメリットはありませんし、面白みも薄いです。腹を割って話す事が出来ませんのでそういう人だと思う事です。

 

当たり障りのない対応が一番良いです。こちらもビジネスとして関わる事がベターです。

 

このタイプは腹を探るような人を最も警戒します

 

 

ですので、適度な距離を保つ事が得策です。

 

なぜならば、外面マックスの人間なので内側を知ったところでどうしようもないです。

外面の穏やかさとは裏腹に非常に性格が激しかったり、利己的、自己中心的、冷淡であったりします。

 

こういった自分の性格を熟知しているからこそ、損しないように、そういった面を隠し、外面を良くしていると考えられます。自分の目的や計算を達成させる為に生きている人とも言えます。

 

ですので、思い通りにならないと時に爆発するのです。

 

「俺はここまでやってるのに」。。と。

 

しかし、勝手にストレスを抱えるような言動を取ってるのは自分であって、そう思うのは思い上がりです。

 

こういったタイプの人は決して多くはないですが、少なからずいます。

大きな企業や会社には必ず一人や二人はいます。あなたの周りにも人生の中で一人くらいいた可能性があります。

 

生き方は人それぞれ、生まれてきた役割も違いますし、能力も違います。そのような生き方を選ぶのも人生ですし、誰にも否定されるものではありません。

 

目標達成の為に並々ならぬ努力をするわけですから、ある程度の経験や実力がともなえば一角の人になれる可能性があるのではないでしょうか。