善悪二元論に注意しなければならない理由

世の中には二択、つまり善悪二元論になりやすい傾向にあります。どちらかが善どちらかが悪という前提でなぜか二択で展開されるような話になりやすいでしょう。

 

それがクイズであれば問題はないかもしれない、むしろ回答が少ない分正解が出やすいのでメリットはあります。

 

しかし、世の中の風潮が何となく流されている、もしくは誘導されているように感じる。このような社会情勢が最も危険で間違った方向に進みやすいです。

 

なぜ、善悪二元論が良くないのかと言えば、当事者ではない悪意を持った人間や組織が、別の思惑を持って誘導している場合が多いからです。善悪二言論に傾けば傾く程、絵を描いている黒幕に目を向けることがなくなります。

 

善意を2つに分けられるものではないのにバッサリ二分された報道がされている。しかも、どちらかに偏った報道がされている。論理的ではなく感情論で煽る。

 

これをどのように判断すれば良いのか?

 

この流れは実にキナ臭いと思った方が良いです。情報を操作している人や組織がいると考えた方が無難です。

 

民衆が誘導されて得をする人間は誰なのか?

 

 

よく資金の流れを追っていけば誰が主導して操作させているのかが分かります。そして、その人や組織が過去どのような活動や言動をしているのかを探っていけばおおよその推測が出来ると思います。

 

ただ、この段階では推測の域を超えないので更に別の角度から追っていけば新たな情報にたどり着く事もあります。

 

どちらかが善どちらかが悪という構図は感情的であり、どちらが正しいという議論では一方的なレッテル貼りに終始し、マウントの取り合いが展開されます。

 

そして議論で勝ってるような流れが優越感を充たします。さらに感情的になると相手の主張が正しいか間違っているのか関係なく叩き潰そうとします。

 

ここまでくると相手を潰す事が正義という空気が漂ってきます。

これは歴史からも分かっている事ですよね。

 

注目すべきは対立相手ではない

 

 

こうなると、支配者側の思惑や裏に潜む陰謀など考える余裕がなくなります。

人々は善悪二元論で争いが始まります。人は感情的になると思考が停止して本質が見えなくなります。黒幕は本質が見えなくなるように感情に訴えるわけです。

 

これは、仕掛ける側が意図的に作り出している構造であり、皆が皆、黒幕の罠にハマっていると言えます。

 

感情的な争いはエスカレートしやすい特徴があり、お互いに傷つけ合うことでより溝が深くなっていきます。そうなるとお互いに冷静に理論的にデータなどを分析しながら正しい方向に向かわせるなど不可能です。相手をぶっ潰す事が唯一の解決策だと思うようになります。

 

こうなると状況は悪化の一途をたどります。徹底的にお互いを潰し合い、疲弊させて勝った方を支配します。こういう事が歴史的に繰り返されてきた訳です。

 

ですので、取り返しのつかない事になる前に冷静に考えるくせをつけておかないといけません。なぜなら、本来向かわなければいけない怒りをお門違いなところにぶつけても解決にならないからです。さらに何世代にも渡って修復不可能な関係が出来上がってしまいます。

 

怒りの感情は快楽物質が脳に生成されさらに快楽を求めるようにエスカレートしやすい性質を持っています。時には残酷な事をしでかしたり、罪悪感が薄くなる傾向にあります。

 

このような事態を最小に抑えるには感情を揺さぶられないように注意していく必要がある。それと、善悪二元論に向かおうとする時には必ず他の思惑がありますので頭の片隅に入れておく必要があります。

 

だいぶ経ってから不毛な争いに気付くわけですが、そこまで行くと手遅れです。争う必要のないところで激しく戦い事もあります。

 

争いが小さい大きいに関わらず、激しければ激しいほどゴメンナサイとはなりづらいでしょう。ある程度の人生経験があればお分かりになると思います。

 

善悪二元論の最も気を付けるべき点はそれを操作している黒幕の存在です。黒幕がそのように仕向けている、または誘導している場合が少なくありません。ということを理解することが重要です。

 

誘導する側を甘く見てはいけない

仕掛ける方は自分たちに矛先が向かないように二元論で感情に訴えかけ戦わせようとします。主にマスメディアなどを使って誘導してきます。このような事がずーっと続いてきたわけです。

 

また、感情による誘導が上手くいかない場合はまったく別の情報を差し込んで誘導します。このように、うっぷんをたまらせるようにしたり、また、本質から目をそらす為の情報を敢えて放り込んできます。

 

なぜならば、民衆の意識をコントロールさせる事が目的ですから、誘導が上手くいってないときはさまざまな暴露などで敵意をそらしたり、それでも上手くいかないときには煙に巻くような事を平然とやってきます。

 

このような性質を理解していれば、誘導は難しいですが、多くの人が感情を揺さぶられて思考停止してしまう傾向にあります

 

個人的に騙すことは難しくても民衆を騙すことは簡単だと言っていた政治家の有名な言葉がありますが、大衆を騙すには

 

「明らかな大嘘を繰り返し広言すること」

 

そうすると、大衆はまさかそんな嘘っぱちを立場のある人が流さないだろうと勝手に思い込んでしまうのです。これが大衆誘導のカラクリです。

 

テレビ、新聞を回答用紙の様に正しい思っている方には信じがたい事かもしれませんが、これは現実的な問題です。

 

問題と警鐘を鳴らしているのは、マスメディアではなく、我々視聴者側です。マスメディアが報じない自由を行使し、国民に対して大事な情報を流さない。

 

そのような媒体だと理解できていれば問題は最小限に食い止める事が出来る。つまり、情報を受けとる側のリテラシーが低い事が問題という事です。

 

二元論に誘導されそうになった場合、一度立ち止まり冷静にその判断が正しいのか考える事をおすすめします。この時に大事になるポイントは感情的に判断しない事です。それは感情的になっている時点で思考停止に陥っている可能性が高いからです。

 

思考停止になっていると正しい判断は下せませんからね。善悪二元論は感情に揺さぶりを掛けてくるので意識がどうしても引っ張られてしまいます。ちょっと覚醒した位だと簡単に揺さぶられてしまいます。

 

なので、マスメディアのコントロールは相当強いものだと理解する必要があります。

善悪二元論が諸悪の根元だと断言出来るのは、本質を見失い虚悪がまったく見えなくなってしまうことが恐ろしいのです。

 

つまり、仕掛ける側が本質から目をそらさせるための、ただ単に煙に巻く手法に過ぎないのです。

 

洗脳されてしまう我々にも原因がある

そもそも世の中の事象で二元論でスパッと説明できるものがあるでしょうか?いくつもの権力や思惑が複雑に絡み合い、人によっては損したり得したりするでしょう。

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それが一方が悪い、その反対側が良いなんて事はないのです。複雑に絡み合う構造を理解するよりも「善」「悪」に分けて誘導したほうが人々はコントロール出来るのです。

 

なぜなら、考えるのは面倒臭いからです

 

強い発信で誘導してもらった方が楽だからですが、これは意識して楽をとっているのではなく、無意識に二言論を求めてしまっている傾向にあります。

 

特に現代人は忙しく情報が溢れかえっていますので、その情報の渦から正しい情報を選択するのが難しい状況です。

 

複雑な構造は理解しづらいゆえに単純な二元論は誘導されやすいです。
ですから我々はこのパターンには最も注意しなければなりません。

 

そもそも、二元論で片付くほど単純な世の中ではありませんし、もし、そうであった場合、その裏には黒幕がいて悪どい思惑があると見て間違いないでしょうそして誰しも理解しやすい善悪二元論に誘導していることに気がつかなくてはなりません。

 

状況を改善させるには、視野を広く持ち現実を直視するのが最善です。

視野を広くするには問題の本質を見抜く目を養うことが必要です。実際に問題を解決するには何が問題で、何を解決すれば根本的に良くなるのかを考える必要があるということです。

この場合、問題の程度にもよりますが対処療法が問題を更に深刻なものにしてしまうことが良くあります。

 

状況を悪化させてしまうのは対処療法だったりする

 

どういうことかと言えば、Aに問題があった場合、Aをもぎ取ってしまえ。

という解決方法です。

 

それで済む場合もあるが、後々更なる問題を生む可能性があります。対処療法は問題が起きたらその問題のある部分だけを対処するという方法ですが、単純明快な分、後で思わぬ問題に直面しやすい危険性をはらんでいます。

 

対処療法はいわば臭いものに蓋をするというやり方ともいえるわけで、根本的には解決しないわけです。

 

悪い部分を削ぎ落とすという発想ではなく、この問題が起きた理由は何と何が原因で、そもそも問題が起きないようにするにはどうしたら良いのか?という考え方が必要です。

 

問題が解決しないのは視野の狭さである

視野の狭さは問題を解決したい場合、致命的な間違いを生みやすいです。

 

視野が狭いとどうしても枝葉の部分に目がいきやすくその場しのぎの処理をしがちです。

善悪二元論、○か✕ではなく視野を広くもち感情的にならず、根本的に解決するにはどうしたら良いのか考える事が先決です。

 

そうしないと目の前の事象ばかりに気を取られ、感情を揺さぶられるばかりで問題解決には程遠い精神状態に陥ります。

 

善悪二元論は人々を洗脳するのに効果的な方法

 

本質を見えなくするというのが、善悪二元論の最も弊害なわけですが、本質が見えていないということは問題を解決は出来ません。現実を直視する以外に解決する方法なんてものはあり得ないわけです。

 

今現実の諸問題にしても、歴史的に見てもその諸悪の根元に対して向き合わないと解決には至りません。

 

人というのは本当に恐ろしいと思うものには見ようとはせずに、解決にならない解決方法にすがる傾向にあります。

 

それしか解決方法がないというくらい盲信していくようになりますが、様々な諸問題にしても経営にしてもこのような逃げの考えでは最終的には破滅します。

 

現実を直視する事がなぜ難しいのか?

 

 

一言で言えばものすごい勇気が必要だからです。破滅する人の特徴としては勇気が足りないのです。このような人の問題の向き合い方は、その場しのぎです。不思議なことにこのような臆病者は枝葉の部分を修正することには労力は惜しみません。

 

しかし、幹の部分さらには根っこが腐っていては無駄な努力になります。

 

小手先の修正というのは風邪を引いたから薬を飲む程度の対処法です。風邪でしたらそれで済むかもしれないですが、一番目を背けたい事を怖いからといって放置すると、さらに構造が複雑化して、またそこにそれが当たり前になってきます。

 

これが10年が経ち20年が経つと手の施しようがないほど何から手をつけていいのか分からなくなります。

 

つまり、結局のところ小手先の対処ではなく早めに大元から改革、仕組みや構造の問題を見直さない限りは良くはならないでしょう。

 

放置期間が長ければ長いほど、現実を直視したとしても問題を解決するには時間は掛かると思います。しかし、本質に向きあえばいづれ解決に向かっていきます。

 

つまり、長年の事なかれ主義が生んだ弊害と捉えることも出来ます。

 

直視したくない原因として挙げられるのが第三者の介入です。場合によっては色んな立場の人や組織、利権などが複雑に絡み合いっている場合が多いからです。

 

中にはお世話になった人や立場が上の人もいたりして、解決には身を引いてもらったり説得が必要になる場合があります。場合によっては相手にとって不利益になるような内容も含まれますのでタフな交渉になるでしょう。

しかし、諸悪の根元を修正、変えない限りは問題を解決できませんのでやるしかないわけです。

 

人はリスクを無意識に避ける性質があります。諸悪の根元に立ち向かうにはかなりの反発が予想され、敵も増える可能性があり、自分の立場が危うくなるかもしれません。

 

意識しているいないに関わらず、そういったリスクがわかっているからこそ、問題に向き合わずに小手先で対応してしまう訳です。

 

しかし、遅かれ早かれいずれ向き合うことになります。これは難しい判断になりますが、リスクを恐れて考える事すらしないと今よりもっと大きな災難になる可能性は高いですので必ず今行動するかは別として常に意識だけはしておくようにしましょう。

 

仕掛ける側はあえて思考停止するようにより感情に訴えて誘導してくることを忘れないようにしましょう。黒幕は思考停止しないと誘導できない事を知っているからそうするのです。

 

総評

 

日々の生活に奔走していると枝葉の部分にばかり目が行きがちになるので、もっと大きな視点でみる事が最も重要です。

 

本質が重要だと理解することで、幹の部分や根っこの部分を知ろうとするでしょう。いきなり本質の部分を理解することは難しいので常日頃からこれは本当に正しい情報なのか?私に必要なものなのか?

 

正しいという風潮を疑う事が大事です。そして調べられる範囲で調べる事です。この能力は一日一夜で培われるものではありません。日々の情報の精査が調べる能力を向上させてくれるはずです。

 

もちろん、情報を疑っている事を人に伝える必要はありません。ほとんどの人は情報を自分で精査などしていませんので、周りから変な目で見られる可能性も無きにしもあらずです。ですので精査した情報を自分の頭に入れておけば良いだけの話です。きっと、いざというときのバイブルになってくれるでしょう。