投稿者:taka
人は4時間睡眠を続けたらどうなるのか?

メディアなどに短時間睡眠が取り上げられ注目を浴びていますが、1日の活動時間を長く出来ればそれだけ有効な時間が増えることは間違いありません。

 

まったく睡眠をしないのは現実的でないかもしれないですね。では、4時間睡眠を続けたらどうなるのかを検証していきましょう。

人間の睡眠の目的

体の老廃物の排出と脳の疲れを取るという事が目的。体の老廃物はおよそ4時間半睡眠取ると無くなるそうです。

 

これはなぜ人間には睡眠が必要なのかという事の理由にもつながりますが、生活をしていくと老廃物というものが溜まっていきます。

 

それが疲労という形で現れますが、血液の流れを弱くして代謝も落として1200カロリー程度に抑える(起きてる間の30%しか老廃物は出ない)ことでその間に老廃物の量がプラスマイナス(+-)が逆転してくる。

 

活動中は老廃物が溜まりやすくそれを睡眠によって少なくさせるために寝るという事が必要になる。一方睡眠中は老廃物が溜まる速度が遅くなりそれを処理する速度も速くなることによってどんどん老廃物を消していく事になる。

 

これは、通常相当な肉体労働をしたあとでも約4時間半の睡眠をとれば老廃物は消えることがわかっています。このことから睡眠の最低時間は4時間半という事が健康に生活する条件になると分かっています。

 

しかし、これは個人差があり回復力が早い人がいる。活動中ですら肝臓や腎臓が回復し、血流が多いなど例外もあるようです。

 

そういった方はソファーで数十分横になっただけで完全に回復するそうで常識外、規格外な人もいるという。

 

もう1つ脳が疲れるという事があります。人は活動中、脳に画像が蓄積されていきます。それを処理して脳に格納する必要があります。それが2時間半掛かるとされています。

 

体の老廃物、脳の処理いずれか同時に行うことが出来れば4時間半、別々に処理するならば7時間、という理由で4時間半~7時間という睡眠時間が人は必要という事が分かります。

この基本を押さえていれば実生活に一切支障がないようです。

 

寝なきゃいけないというプレッシャーは必要ない。疲れたと体が感じれば自然に熟睡できる、そういった考えを持っていれば睡眠に悩む必要がないということですね。

 

長時間睡眠は体にとって悪いのか?


7時間以上の睡眠は眠りが浅くなり意味はないそうです。睡眠で重要なのは目をつむり横になる事が大事で、横になってテレビを見たり目を開いていると画像が入ってきますので脳が休めなくなります。
耳は何かを聞きながらでも睡眠の邪魔にはならないと言われています。

4時間睡眠はどういったものなのか?

 

4時間睡眠は効率が上がると評判があります。時間が足りない、時間さえあれば達成出来るとお考えの方におすすめの方法になりますが何かの試験を控えてる方や目標がある方には良いかも知れません。

 

睡眠は基本的にレム睡眠とノンレム睡眠が交互に訪れ、ノンレム睡眠は深い眠りで浅い眠りのレム睡眠に分けられます。レム睡眠時は眼球に動きがみられ、体も動きがある時間帯を言います。睡眠で大事なのはノンレム睡眠で老廃物を排出して疲労回復する時間帯です。

 

 

4時間睡眠は実践し始めて1週間~2週間程度は頭がボーッとしてもうろうとした時間が多いと言われています、急激な変化に体が付いていってない状態ですが、数週間を乗り越えれば慣れてきて今までよりも時間が有効に使えるので生産性は上がるようです。

 

1ヶ月実践後には今までよりも頭がスッキリして作業効率が良くなるという。

 

時間が足りなくて作業に追われてる方にはオススメの方法です

 

やりたい事が多くて1日が足りないという方や目標がありそれを達成させるための勉強や訓練をする時間が足りない。

 

もっと1日が長ければなぁ~と考えるあなたには良い方法かもしれないです

 

1日は誰でも平等に24時間である。色々やりたい事が多くて作業に追われてる場合でも、限られた時間でこなさなければなりません。

人より速く理解して速く作業出来ればライバルよりも先に行くことが出来ます。1日の作業時間が4時間増えたら1ヶ月後にどれだけの差が出ると思いますか?

 

1ヶ月実践すれば
通常1日8時間睡眠で過ごしていた人は4×30=120時間
1年実践すれば
120時間(月)×12=1440時間
1440時間作業に充てることが出来るわけです。

 

それが出来れば苦労しないだろ…。

と思ってしまいがちですが、

 

睡眠時間を削って作業すれば目標に近付く・・

これは誰しも考える事ですが、1つ問題があります。

 

使える時間が長くても頭がボーッとしてポテンシャルが発揮出来ない・・・

会話にも付いていけないくらい思考停止状態・・・

 

目の下にクマができるなど逆に作業効率が悪くなり最悪な状態になりかねない…。

 

 4時間睡眠はポテンシャルが高いですがコツと注意点があります

 

・慣れるまでに1~2週間我慢する
・実践中酒は飲まない事(努力が無駄になります)
・3時間(本睡眠)+30分(昼寝)+30分(昼寝)など4時間の間で自分が一番良い方法を見付ける努力をする
・人によって向かない方法でもある(全員うまくいくわけではない)

 

※体力や健康に不安がある人は止めておきましょう

4時間睡眠を続けるか続けないかは2週間経っても身体がダルかったら向かない可能性が高いのでこの方法は止めましょう

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生きてると時には無理したり挑戦したりといった事が長い人生にはあると思います。
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平将門の怨念は1000年以上!奇怪な現象の理由とは

平将門の首塚はご存じでしょうか?

将門の首塚は大手町のビル街の間にあり、行ったことがある人ならなんとなく異様な雰囲気を感じたのではないでしょうか?戦国時代に生きた人なので、戦が当たり前の時代であり戦で亡くなる武将というのは沢山いたわけです。その中でも将門の怨霊は最強と言われています。

 

平将門の怨念とはどのようなものなのか?

 

かつての大蔵省が関東大震災で全焼。新庁舎を建てる前に、仮庁舎を将門の首塚を取り壊し建てた。

 

その後役人の中から病気や怪我をする人が続出、これが将門塚を取り壊してその上に庁舎を建てた祟りだという噂が広まった。それもなぜか足の怪我に集中していた。

将門を足下にした祟りだと一気に噂が広まります。

 

わずか2年の間に現役大蔵大臣である早速整爾を筆頭に現職課長や建設に携わった関係者14名ものが不審死。

 

大蔵省職員の動揺を抑えるために南無阿弥陀仏鎮魂碑を首塚の前に建設された。

 

昭和15年6月に落雷で大蔵省の主要建物が全焼しました。


戦後、焼け野原だった首塚周辺をマッカーサー率いる米軍(GHQ)が巨大駐車場を作ろうとするが、建設中にブルドーザー運転手が横転して亡くなる事故が発生した。

 

数々の怨霊伝説のある平将門の首塚ですが、それ以降の伝説はないようですが、「触らぬ神に祟りなし」ということで首塚を潰そうという動きがないからかも知れません。

 

現在も大手町に首塚はありますが、周辺はビルで囲われておりビルのテナントでは首塚に背を向けないようなデスクの配置にしているようです。

 

めちゃくちゃ気を使っていますよね、将門首塚に失礼があってはならないと・・というよりも数多くの伝説を持つ将門の怨霊を恐れてそのようにしているということだと思います。実際に生きていたのは1000年以上前の平安時代ですからね。

怨霊の根深さ、執念がどれほどのものだったのか・・・

 

怨霊の都市伝説だけが独り歩きしている感がありますので、平将門の生い立ちや

どのような人物だったのか、どんな亡くなり方をしたのか、そのあたりを掘り下げていけば恐ろしい怨霊の理由が少しは分かるかもしれませんね。

 

平将門とはどのような人物だったのか?

 

当時の朝廷に反乱を起こして自らが親皇として名乗ったのが平将門だった。

 

平将門はどのようにして亡くなったのか?

 

承平天慶(しょうへいてんぎょう)の乱によって討伐されるのですが

 

ーーーここから順に平将門の生涯を見ていきましょうーーー

 

叔父たちから目の敵にされ親戚間の小競り合いが絶えなかった

将門が生きていたのは平安時代の中期平安京を作った桓武天皇の5世の孫という由緒ある血筋。将門の祖父である平高望はその血筋を持っても天皇になることは難しいと考え、京を離れ関東を拠点に移しました。

高望は関東の有力者の娘を息子たちの嫁に迎えることで勢力を拡大していった。息子たちにそれぞれ領地を残します。

その1人である将門の父良将は早々に亡くなってしまい残された領地を巡って叔父の平国香、国香に娘を嫁がせた源護と争うことになります。

 

将門は国香と源護を返り討ち、国香以外の叔父たちも源護の娘を嫁に貰っていたため、将門は叔父たちから狙われる立場になってしまいました。

ここから親戚間の小競り合いに発展していきます。

 

朝廷を敵に回した将門、対抗するために関東を制圧する

将門は戦に強く知力に優れていたため親戚間の小競り合いにおいて常に有利にことを運んでいました。

しかし、国の最高権力である朝廷に「お尋ね者」にされ将門に助けを求めてくる人物がいた。藤原玄明である、玄明は常陸を任された受領である。

藤原維幾に反発して税金を払わなかった為に朝廷から追われる身となった。

 

将門は玄明の罪を朝廷に報告した維幾と因縁があり、玄明を受け入れた。

 

維幾は将門が親戚間で小競り合いしたときに叔父たちに加担したことがあったからです。

さらに、国に帰りたいという玄明の願いをかなえるべく維幾を攻撃することになりました。

 

結果、将門は維幾に勝利し、朝廷から預けられた受領の証である印鑑を奪ってしまうという暴挙に出ます。

 

そのことで朝廷を敵に回してしまった将門は国から狙われる身となった。

それに対抗するためには大きな勢力が必要になります

そこから関東一円の受領を追い出して制圧、さらに勢力を手に入れ

 

天皇の対となる新皇を名乗る

 

自らの身を守る為の行動とはいえ徴兵や徴税に苦しむ民衆からは英雄的存在だったと言えます。

しかし、新皇としての日々はたったの2ヶ月で幕を下ろすことになります。

将門の討伐に本格的に乗り出した朝廷は有力な武士を関東へ次々に送り込みます。

 

その中のから名乗りをあげたのは藤原秀郷で奥州藤原氏の祖先にあたる人物です。

 

秀郷は将門のいとこであり、親戚間の小競り合いにも度々関わっていた平貞盛と手を組み将門を奇襲攻撃。隙を突かれた将門は窮地に陥り、自らが戦場に繰り出した際に流れ矢を頭に受けてしまい生涯を閉じました。

 

当時の朝廷に歯向かった罪の重さは相当なものだったと言われています。

将門の怨霊の都市伝説はここから始まります

本来首塚は首を供養するためのものであったが、将門の首塚はその怨霊を封印する意味合いが強かった。1000年以上経った今でも都市伝説として根付いており、現在に至っても怨霊が消えないと言われています。将門の怨霊は壮絶な亡くなり方が深く関わっているというのがその理由というわけですね。