自意識過剰な人の勘違いと大きなズレ

勘違いをすぐ気づいていれば、修正すれば良いので問題はないですが、勘違いを気付くことがない人がいます。

 

ありがちな勘違いを見ていきましょう

 

今日の感想を1人ずつ述べましょうという事を言われたとします。

 

端からいきますので徐々に自分の番が回ってきます。そして、自分の隣の方に順番が回ってきました。ここでそのとなりの人が拍手されるような感想を述べました。

ここであなたは思うわけです。

 

「まずい…。」隣の人が素晴らしい感想を述べた事で「より素晴らしい感想を言わなくては…と」

 

また、目の前にピアノが置いてあったとします。そこにはピアノを弾ける人が2人いましたと。

2人とも弾きたいということなのでみんな聴いていました。

 

1人目の人が素晴らしい演奏をしました。さぁ、2人目のあなたの番です。

さてあなたは弾きますか?

 

1人目の方があなたよりも明らかにレベルが上だった場合、ここで弾かない人って多いです。

 

「うわっ!私よりも上手だ」「比べられる」

 

自分で勝手にプレッシャーを掛けて弾くのをやめてしまいます。

 

次どうぞ!と言われても

 

「私はやっぱり、いいや」

それか、何か理由を付けて弾くのを辞退します。

 

「えっ?さっき弾きたいって言っていたのに」

 

冷静に考えれば勘違いしていることに気付くと思います。

 

自分より上手い人がいたらプレッシャーを感じるのか?

 

優越感を味わうためにピアノを弾くの?

 

勝ち負けでしか判断出来ない頭の固い人

 

 

例の1人目が逆にピアノ演奏のレベルが自分より低いと判断すれば間違いなく弾きます。

人を判断する基準が上か下か、優れているのか、劣っているのか。それしかない。

相手が自分より優れていれば、圧倒され、劣っていれば見下す。そういう心理に繋がります。

 

今日の感想を述べる例にしてもそれを求めた人は「感想を述べてくれ」といってるのであって「前の人より素晴らしい感想を述べてくれ」とは言っていない。

 

求めていることは「あなたの感想」であり、本当に思ってもいない人の目をたっぷり意識した素晴らしい感想ではない。

 

あなたが思った感想を素直に述べれば良いだけの話で、思いの丈をそのまま述べれば良い。自分で勝手にハードルを上げてプレッシャーを感じているだけで、実際このような人は少なくない。

 

感想を述べてくれと言った人も求めてもいない、周りの人もあなたが素晴らしい感想を言う事を期待しているわけでもないし、誰も求めてない。


 

自意識過剰はどこから来ているのか

・小さい頃から比べられて育ち屈辱を味わってきた
・親が負ける事を非常に嫌う性質
・心の奥に劣等感を隠し持っている
・自意識が過剰

 

やはり、幼少の頃から植え付けられた感情や性質は簡単には変われない。その人の性格や人生観にも大きな影響を与える。

 

自意識過剰は自分の可能性を潰してしまう

 

 

自意識過剰とは、誰もあなたの事を意識もしていないのに、勝手に意識していると思い込んでいる。つまり、あなたが周りがどう見ているかばかりに意識を引っ張られ、物事に集中出来ない。どうしても自分を客観的に見ることが出来ない。

 

普通の人は物事に集中出来るのに対して、自意識過剰の人は絶えず周囲から見える自分を意識しているため集中出来ない。

 

自意識過剰の人は他人の目に意識を取られているため、神経が過敏で集中しなくてはいけない場面でも散漫になる傾向がある。様々な成果や功績は強い集中力から生まれることが多く、結果を出さなければならない場面ですら、物事に集中したいが、一方で他人の目を意識することになります。2つの意識があると良い結果を出せないばかりか、本来の実力すら発揮することが出来ない。

 

「周りに自分はこう思われているのではないか?」
「こんな事をしたら、みんなにバカにされるのではないか?」

 

そんな事ばかり考えている人がいますが、典型的な自意識過剰と言われる人です。

スポンサーリンク

 

人の目を気にしすぎるあまり、本来自分のすべき事にも疎かにしがち。

良くスポーツの世界では、良いイメージを持つ事が重要と言われているが、それとは真逆の精神的構築がなされているのが自意識過剰な人である。

 

人の目が気になるという事はプラスよりも圧倒的にマイナスイメージが付きやすい。なぜなら周囲の反応によって自意識過剰の人の自信が形成されているからです。

 

自信とは読んで字のごとく自分を信じる力である。自信は周囲の反応によって形成されるものではない。この脆い自信はちょっとした批判などでポキッと折れてしまう。

 

自意識過剰の人は自信がない

 

自信は育てるものですが、数日で形成されるものではない。

 

自分の存在価値を周囲の目に委ねているいじょう自信は育っていかない。自意識過剰の人が自信がないのではなく、自信が育たなくなるような行動を自意識過剰である自分が取っている。

 

周囲の人はすべて自分に注目している

自意識過剰の人の勘違いの根底は周囲の人はみな自分に注目しているという勘違いがあります。

 

自分にしか関心がないから周囲を冷静に観察できない

 

周囲の人にも自分の人生があり、自分の事が最大の関心事、あなたが失敗しようが成功しようが関係ないという事を理解したほうが良い。ましてや、あなたがピアノのレベルが前の人より上手かろうが下手だろうがどうでも良いのである。他人があなたの一挙手一投足に注意を払うなんてことはあり得ない

 

感想を述べてくれといわれて、前の人よりも大したこと言えなかったとしても、翌日には忘れてるレベルの小さな出来事に過ぎない。周りの目を意識して、勝手にハードルを上げて、それを大きな勘違いであると気付く必要がある。。

 

自意識過剰な人の特徴

・周囲の目が異様に気になる
・周囲から見た自分が最大の関心事
・神経が過敏である
・ちょっとした失敗をいつまでも引きずる
・いつも不安である
・失敗する事を考えると挑戦出来ない・自意識過剰な仲間が多い

 

この中でも失敗するイメージが先行してしまいチャレンジする前に避けてしまう。

かなり顕著に現れる例ですが、この場合の挑戦とは失敗すれば人生が破産するような大きな事ではなく市民ランナーに参加するような挑戦である。

 

挑戦することに意義があるような、選手全員に拍手が送られるような事にも大きなプレッシャーを感じて尻込みしてしまう。

自分のイメージが壊れる事を非常に恐れ、ちょっとでもマイナスイメージがあると挑戦することを諦めてしまう。自分が体験する楽しみよりも自分のイメージが崩れることのほうがはるかに怖いのである。

 

普通の人も不安はあるけど挑戦することで体験することでかき消される。

そこには自分のイメージに対して意識は向かないし恐れはない。

 

自分のイメージが崩れることへの恐れ

 

 

自分に対する理想が高いことは悪いことではないが

現実から遠く離れたイメージを持つ人がいる。

理想が高くても現実との区別がついていれば

それがもとでトラブルになることも少ない。

 

高い理想をそのまま自分のイメージにする人がいる。

現実をそのまま受け入れることが出来ず、

勝手に自分の虚像を作り上げる。

 

こういった人はナルシスト傾向にあるという。

 

そしてこのイメージが様々な周囲との軋轢を生む。

周囲の人は普通に扱っていても、「けしからん」となるのである。

 

自分で凄い人間と思っているだけで、現実的にこの人が凄いわけではない。

本人は現実の自分と理想の自分の区別がついていない。

本人は自分はすごい人というイメージを持っているかもしれないが、

周囲の人から見ればすごくもなんともない普通の人なわけである。

このギャップがトラブルの元になる。

 

普通の人にも理想や夢があるし、こうなりたいという希望もある。

ただし、現実の自分はそんなことはないということも理解しているので

ギャップに苦しむことも、それがもとで軋轢を生むこともない。

 

しかし、これがナルシストとなると話は変わってくる。

現実の自分よりも遥かに高い理想を持ち、勝手にイメージを引き上げて

定着させてしまう。そして、高いイメージを持ったまま社会生活を送ることになる。